八木節の響き ― 聴いてよし、踊ってよし
祭りの名を冠する「八木節」は、両毛地域を代表する民謡です。力強い太鼓、軽快な三味線、勇壮な笛の音、そして張りのある音頭取りの声が櫓(やぐら)から響き渡ります。櫓を囲む踊り手たちは輪をつくり、軽やかな足さばきと手振りで八木節踊りを披露します。
桐生八木節まつりの魅力は、誰でも気軽に参加できることにあります。有志グループや保存会が技を競う一方で、飛び入り参加も大歓迎。見よう見まねで輪に加われば、自然と体が動き出し、いつの間にか笑顔が広がります。踊るほどに楽しさが増していく――それが八木節の醍醐味です。
全日本八木節競演大会
昭和63年(1988年)に始まった全日本八木節競演大会は、音頭取り日本一を決める名誉ある舞台です。予選を勝ち抜いた精鋭たちが準決戦、決戦へと進み、迫力ある掛け合いで観客を魅了します。八木節の伝統と技術の高さを体感できる、見応え十分の催しです。
ダンス八木節
平成9年(1997年)に創設された「ダンス八木節」は、伝統の旋律に現代的なダンスを融合させた創作大会です。若い世代にも八木節を広めようと始まり、キッズ部門や一般部門など多彩なチームが参加。躍動感あふれるパフォーマンスは、祭りの新しい風として定着しています。
桐生祇園祭 ― 360年以上続く祭礼の系譜
桐生八木節まつりの柱となっているのが、牛頭天王(素戔嗚尊)を祀る桐生祇園祭です。その起源は明暦2年(1656年)の記録にさかのぼり、疫病退散と町内安全を願う祭礼として始まりました。
江戸時代には附け祭として屋台や山車が登場し、歌舞伎や狂言などの芸能が披露されました。町ごとに趣向を凝らした屋台が大型化し、曳き違い(ひきちがい)と呼ばれる競演が行われ、夜通し観客を楽しませたと伝えられています。
明治期の神仏分離令を経て祭礼の形は変化しましたが、平成以降に祇園祭は再び復興。屋台や鉾の巡行がよみがえり、伝統の灯が力強く受け継がれています。
動く祭礼建築 ― 六台の祇園屋台
桐生新町の一丁目から六丁目が所有する六台の祇園屋台は、「動く祭礼建築」とも称されます。間口約7.5メートル、高さ約6.6メートル、奥行き約6.4メートルという堂々たる規模を誇り、豪華な彫刻、華麗な襖絵、力強い扁額が三位一体となった芸術作品です。
三丁目の翁鉾と四丁目鉾
三丁目の翁鉾は文久2年(1862年)完成、高さ約7.5メートル。源頼朝像を戴き、威厳に満ちた姿を見せます。四丁目鉾は明治8年(1875年)完成で、高さ約9.2メートルと全国有数の規模を誇ります。素戔嗚尊の人形をいただくその姿は圧巻です。
三・四丁目が天王番を務める年には、両鉾が並び立つ「曳き違い」が行われ、祭りは最高潮を迎えます。巨大な鉾がすれ違う光景は、観る者の胸を打つ迫力です。
多彩な行事と市民参加のにぎわい
祭り期間中は、神輿渡御や各町挨拶廻り、衣装付け届けなどの神事が厳かに執り行われます。一方で、ジャンボパレードや子どもみこしまつり、物産市など、家族で楽しめる催しも充実しています。
ジャンボパレード
企業や市民団体が趣向を凝らした担ぎ物やパフォーマンスで行進し、法被や仮装姿が本町通りを華やかに彩ります。地域の活力と創意工夫が感じられる人気行事です。
織都ならではの物産市
桐生は古くから織物の町として栄えてきました。祭りに合わせて開催される物産市では、帯や浴衣、服地など多彩な繊維製品が並び、産地ならではの魅力を発信しています。
時代とともに進化する祭り
昭和39年(1964年)に多くの行事を統合して「桐生まつり」として再編され、昭和63年に「桐生八木節まつり」と改称。平成期には祇園屋台や鉾の復活、ダンス八木節の創設など、時代に合わせた進化を遂げてきました。
平成30年(2018年)には第55回を記念し、航空自衛隊のブルーインパルスが桐生市上空で展示飛行を実施。青空に描かれた白いスモークが祭りを祝福し、多くの観客を魅了しました。
令和2年(2020年)には新型コロナウイルス感染症の影響により中止を余儀なくされましたが、オンライン配信や写真展など新たな試みが行われ、伝統を未来へつなぐ努力が続けられました。
桐生八木節まつりを訪れる楽しみ
祭りの魅力は、音と光と人の力が織りなす一体感にあります。櫓の周りで踊る人々の笑顔、屋台の彫刻が灯りに照らされる夜の美しさ、神輿の掛け声とともに響く拍手。そこには、桐生の歴史と誇り、そして地域を愛する心が息づいています。
「西の西陣、東の桐生」と称された織都の伝統を背景に、360年以上の祇園祭の歴史と八木節の情熱が融合した桐生八木節まつり。観るだけでなく、踊り、参加し、共に楽しむことで、その真価を実感できる祭りです。
夏の桐生を訪れたなら、ぜひこの熱気の渦の中へ。八木節のリズムに身をゆだね、桐生の夏を全身で味わってみてはいかがでしょうか。