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賀茂神社(桐生市)

(かも じんじゃ)

桐生の歴史とともに歩む古社

群馬県桐生市広沢町に鎮座する賀茂神社は、古代より地域の人々の信仰を集めてきた由緒ある神社です。延喜式神名帳にも名を連ねる式内社であり、かつては郷社として地域の中心的存在でした。長い歴史のなかで幾多の時代の変遷を見守りながら、今日まで大切に守り伝えられています。

御祭神と創建の伝承

御祭神は、京都・上賀茂神社の主祭神として知られる賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)です。伝承によれば、崇神天皇の御代に豊城入彦命が山城国の賀茂神をこの地に勧請したといわれています。以来、五穀豊穣や厄除けの神として、地域の人々の暮らしを見守ってきました。

古代から続く格式

平安時代初期の史書『日本後紀』には、延暦15年(796年)に官社に列したことが記され、『三代実録』には元慶4年(880年)に正五位下の神階を授けられたことが見えます。また、『延喜式神名帳』では山田郡小社として掲載され、『上野国神名帳』には「従一位 加茂大明神」と記されています。これらの記録は、当社が古くから朝廷の崇敬を受けてきたことを物語っています。

さらに、平安後期の武将・源義家が後三年の役へ出陣する際に戦勝を祈願し、凱旋後に神楽を奉納したという伝承も残されています。このような逸話からも、賀茂神社が地域のみならず広く信仰を集めていたことがうかがえます。

戦時下を越えて守られた神域

太平洋戦争末期には空襲の激化に備え、神社裏に横穴を掘り、御神体と神宝を避難させたという記録が残されています。地域の人々が協力して神社を守り抜いたその歴史は、信仰の篤さと結びつきの強さを今に伝えています。

境内に息づく文化財と自然

境内には、長い年月を経て今に伝わる貴重な文化財が点在しています。なかでも注目されるのが、南北朝時代の永和4年(1378年)に造立された石灯籠です。高さ約2.1メートルの堂々たる姿を誇り、市内で造立年代が明らかなものとしては最古級にあたります。基礎や竿に刻まれた銘文は、当時の信仰や石工の技を現代に伝える貴重な資料となっています。

また、境内には群馬県指定天然記念物となっているモミの群生も見られます。高くそびえる木々は神域の静寂をいっそう深め、訪れる人々に清らかな印象を与えます。四季折々に変化する自然の表情も、参拝の大きな魅力のひとつです。

炎が舞う奇祭 ― 賀茂神社御篝神事

賀茂神社を語るうえで欠かせないのが、節分の夜に行われる御篝神事(みかがりしんじ)です。市の重要無形民俗文化財に指定されているこの神事は、勇壮さと神秘性をあわせ持つことで知られています。

白装束に身を包んだ氏子たちは、人形(ひとがた)に自らの名前と生年月日を書き、身体を撫でて厄を移します。お祓いと豆まきの後、境内中央に設けられた御篝場に清浄な薪が積み上げられ、神前の斎火によって点火されます。炎が勢いを増すと、氏子たちは東西に分かれ、太鼓の音とともに燃え盛る薪を高く投げ合います。

夜空を焦がす炎と無数の火の粉、響き渡る掛け声。その光景は圧巻であり、見る者に強い印象を残します。この勇壮な神事は他に類例が少なく、地域の誇りとして今も大切に受け継がれています。

優雅に舞う伝統 ― 賀茂神社太々神楽

もうひとつの重要な伝統行事が太々神楽(だいだいかぐら)です。文化12年(1815年)に始まったと伝えられ、式舞と狂舞あわせて二十四座から構成されています。なかでも「屑紙拾い三番叟」は珍しい演目として知られています。

明治維新後に一時中断されたものの、地域の人々の尽力によって再興されました。現在も春と秋の例祭に奉納され、保存会の手によって次世代へと伝承されています。優雅で力強い舞は、神前に捧げる祈りそのものといえるでしょう。

語り継がれる伝説

賀茂神社には、古くから伝わるさまざまな伝説があります。尾の切れたアオダイショウは神の使いとされ、白馬を嫌う神であるとの言い伝えも残っています。また、鍛冶屋や桶屋の音を神が嫌うといった話など、地域の生活と深く結びついた民間信仰が今も語り継がれています。これらの伝説は、神社が人々の日常と密接に関わってきた証しといえるでしょう。

静寂と情熱が共存する祈りの場

古代から連なる格式、戦乱や災禍を乗り越えた歴史、そして炎と舞に彩られた伝統行事。賀茂神社は、静けさと情熱が共存する特別な場所です。境内に立てば、悠久の時を超えて受け継がれてきた信仰の重みを感じることができるでしょう。

桐生を訪れた際には、ぜひ足を運び、歴史と文化が織りなす神聖な空気に触れてみてはいかがでしょうか。そこには、地域の人々の祈りと誇りが、今もなお息づいています。

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名称
賀茂神社(桐生市)
(かも じんじゃ)

桐生・赤城

群馬県