退魔寺は、群馬県伊勢崎市に所在する真言宗豊山派の寺院で、正式には石岡山不動院退魔寺と称されます。地域では古くから「茂呂不動」の名で親しまれ、北関東三十六不動尊霊場第六番札所、東国花の寺百ヶ寺 群馬県第三番札所としても知られています。市街地の中心部を流れる広瀬川のほとりにあり、歴史と自然、そして人々の信仰が調和する、伊勢崎を代表する寺院の一つです。
退魔寺の歴史は南北朝時代にさかのぼります。応安4年(1371年)、当時この地を治めていた城主・茂呂勘解由左衛門尉源義輝が、城内にあった光円坊を改めて香華院を創立したことが始まりと伝えられています。弘法大師空海自作とされる不動明王を本尊に迎え、鶏足寺から道照禅師を招いて開山とし、厚い帰依のもと寺院としての礎が築かれました。
その後、寺は「退魔寺」と改称され、本寺格として地域に根を張る存在となります。中世から近世へと時代が移り変わるなかで、度重なる災害や戦乱を経験しながらも、その都度再建され、今日まで信仰の灯を守り続けてきました。
退魔寺の名にまつわる由緒として、今も語り継がれているのが石田三成に関する伝承です。戦国時代、三成が伊勢崎の地を通った際、現在の光円橋付近に毎夜妖怪が現れ、人々を悩ませているという話を耳にしたといわれます。三成はこれを放置せず、行動を起こして怪異を鎮め、地域の安寧を取り戻したと伝えられています。
この出来事にちなんで寺号を「退魔寺」と改め、寺紋も石田氏の紋を用いるようになったとされ、寺名そのものが「災いや魔を退ける」象徴として、現在まで人々の信仰を集める理由の一つとなっています。
「不動院」と記された山門をくぐると、正面に不動堂が厳かに建ち、その右手には本尊・大日如来を安置する本堂がどっしりとした姿を見せます。左手奥には鐘楼が静かに佇み、境内全体に落ち着いた雰囲気を漂わせています。
本堂は寛政4年(1792年)に改築された建物を基礎とし、昭和・平成にかけて幾度も修復・改修が行われ、現在の姿へと受け継がれてきました。不動堂や観音堂も近年整備され、歴史を感じさせながらも大切に守られていることが伝わってきます。
退魔寺が建つ場所は、かつて城があったとされる地でもあります。戦国の世を生き抜いた人々の営みが、この地に刻まれてきたことを思うと、境内に立つだけで長い歴史の流れを感じることができます。
境内や鐘楼付近から望む広瀬川の流れは、市街地にありながらも心を和ませてくれます。川面を眺めていると、近代化が進む伊勢崎の街並みと、古くから受け継がれてきた信仰の世界が静かに重なり合うように感じられるでしょう。
退魔寺は「東国花の寺百ヶ寺」に数えられるように、四季折々の花でも参拝者を楽しませてくれます。春には境内のソメイヨシノが咲き誇り、本堂や不動堂を背景に美しい景観を描き出します。
桜の季節が過ぎると、主役となるのがボタンです。4月下旬から5月上旬にかけて、大輪の赤、白、黄、紫など色とりどりのボタンが境内を華やかに彩り、多くの参拝者がその見事な姿に心を奪われます。秋にはキンモクセイが香り、季節ごとに異なる表情を楽しめるのも魅力です。
退魔寺では一年を通じてさまざまな法要や行事が営まれています。元日の初護摩をはじめ、初不動、彼岸会、施餓鬼法要、そして大晦日の除夜の鐘供養まで、地域の人々の祈りの場として大切にされています。不動明王への信仰は今も篤く、厄除けや開運を願う参拝者が後を絶ちません。
退魔寺へは、JR両毛線・東武伊勢崎線の伊勢崎駅から本庄駅行きのバスで「茂呂郵便局前」下車、徒歩約5分と比較的便利です。車の場合も高速道路のインターチェンジからアクセスしやすく、市街地観光とあわせて訪れることができます。
近代都市として発展を続ける伊勢崎の中で、退魔寺は古き良き歴史と信仰を今に伝える貴重な存在です。街歩きの途中に立ち寄り、静かな境内で心を整えるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。