総社神社は、群馬県前橋市元総社町にある由緒ある神社で、上野国の総社として知られています。旧社格は県社であり、地域の信仰の中心として古くから崇敬を集めています。
正式名称は「總社神社」で、国名を冠して「上野国総社神社(上野総社神社)」とも呼ばれています。古代の国司は、任務の一環として「神拝」や「朔幣」と呼ばれる儀式を行っており、これは国内の主要な神社に参拝し、幣帛を奉納するものでした。平安時代中期から後期にかけて、国司は総社を設け、そこに幣帛を奉納するようになり、上野国においてはこの総社が現在の総社神社となっています。
国司が奉幣を行う神社を記載した「国内神名帳」が存在し、当社では明治時代まで「上野国神名帳」が神体として祀られていました。この神名帳は現在、群馬県指定重要文化財として指定されています。また、本殿も群馬県指定重要文化財に指定されており、その歴史的価値が認められています。
総社神社の主祭神は以下の通りです:
また、上野国神名帳総社本に記されている「鎮守十社」も相殿に祀られています:
さらに、上野国の549社も併せて祀られています。
総社神社の起源は古く、社伝によれば、崇神天皇の皇子である豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことが始まりとされています。また、安閑天皇の時代には上毛野小熊が社殿を改築し「蒼海明神」と称し、天平10年(738年)には上野国549社を合祀し「総社明神」と称したと伝えられています。
しかし、諸国の国府で神々を合祀する風潮が生まれたのは律令制の衰退期であるため、総社神社の成立年代はその後の時代であると考えられています。
総社神社は元々、蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)にありましたが、長享2年(1488年)に現在地に移されました。その後、永禄9年(1566年)に兵火で焼失し、元亀年間(1570年-1573年)に再建されました。さらに、元和2年(1616年)には総社城主秋元泰朝によって大修理が行われ、現在の本殿が建てられました。
近世には、朱印として26石が与えられ、その重要性が認められていました。明治時代に入ると、近代社格制度により県社に列せられ、現在に至っています。
総社神社の本殿は間口三間・奥行二間の三間社流造で、慶長年間の造営ながら桃山時代の様式を残しており、群馬県指定重要文化財に指定されています。
拝殿は天保14年(1843年)に再建され、前橋市指定重要文化財に指定されています。
神楽殿もあり、神事が執り行われる重要な場所となっています。
参道は美しく整備されており、訪れる人々を迎え入れる神聖な道としての役割を果たしています。
総社神社では一年を通じて多くの祭事が行われており、地域の人々の信仰心を支えています。主な祭事は以下の通りです:
総社神社は多くの文化財を所有しており、以下が群馬県指定文化財に指定されています:
また、以下が前橋市指定文化財に指定されています:
総社神社は群馬県前橋市元総社町1丁目31番地45に位置しています。市内の中心部からも近く、アクセスも良好です。
総社神社へのアクセス方法は以下の通りです:
総社神社は、古代からの歴史を持つ群馬県前橋市の重要な神社であり、その由緒正しい歴史と豊かな文化遺産は、地元住民だけでなく、遠方からの参拝者にも深い感銘を与えます。神社の境内や祭事に参加することで、古の時代から続く日本の神道文化に触れることができ、訪れる人々にとって貴重な体験となることでしょう。
また、文化財としての価値も高く、保存されている建造物や工芸品は、歴史を学ぶ上での貴重な資料となっています。総社神社を訪れる際には、これらの文化財にも注目し、神社の持つ深い歴史に思いを馳せるのも一興です。
群馬県を訪れた際には、ぜひ総社神社を参拝し、その歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。