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伊与久 雷電神社

(らいでん じんじゃ)

雷電神社は、群馬県伊勢崎市の粕川沿いに位置する歴史ある神社で、主祭神は大雷命です。この神社は、平安時代に記された上野国神名帳に「上野国佐位郡『於神明神』の比例社」として記載されており、古くから地域の人々に崇敬されています。旧社格は郷社です。

概要

雷電神社は、平安時代からその存在が確認されている由緒ある神社です。古くから地域の守護神として崇められ、時代を超えて多くの歴史的な出来事と関わりを持っています。

神社の由緒

雷電神社の歴史は平安時代にまで遡ります。建保6年(1215年)、赤石城主「三浦之介義澄」によって山城国加茂大明神から勧請されたと伝えられています。その後、元弘三年(1333年)には新田義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願を行いました。また、永禄3年(1560年)には那波氏家臣の領主「赤石左衛門尉」が祭供料と神領を寄進し、神社の発展に寄与しました。

神木と黄金像の発見

天正元年(1573年)1月25日、神社の境内にある神木に雷が落ち、その後、村の修験者である須田峯ノ坊が神木に隠されていた黄金像を発見しました。この像は新田義貞の弟である『脇屋義助』の末裔である地頭五十久弾正によって守護神として崇められ、これにより村では悪役災難が救済され、雷鳴の恐れがなくなったと伝えられています。

江戸時代の崇敬

江戸時代に入ると、雷電神社は領主酒井家の篤い崇敬を受けるようになりました。寛永14年(1637年)には前橋潘主『酒井忠行』、延宝9年(1681年)には伊勢崎藩主『酒井忠寛』、そして明和4年(1767年)には伊勢崎藩主『酒井忠温』が社殿を修覆し、神社の維持に貢献しました。

社格

雷電神社は、平安時代には従五位上に位置づけられ、上野国神名帳にも記載されています。明治4年(1871年)には村社としての地位を得、大正4年(1915年)には神饌幣帛料供進社に指定されました。

合祀神社

明治40年12月5日、雷電神社は境内社や周辺の神社を合祀しました。これにより、以下の神社が雷電神社の一部として祀られることになりました。

行事

雷電神社では、年間を通じて様々な行事が執り行われています。主な行事は以下の通りです。

交通アクセス

雷電神社へは、車や公共交通機関を利用してアクセスすることが可能です。伊勢崎市内からのアクセスも良好で、多くの参拝者が訪れています。

Information

名称
伊与久 雷電神社
(らいでん じんじゃ)

高崎・前橋

群馬県