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臨江閣

(りんこうかく)

臨江閣は、群馬県前橋市大手町にある近代和風建築の迎賓施設です。本館、別館、茶室があり、これらは国の重要文化財に指定されています。臨江閣は、前橋の歴史や文化を象徴する建物であり、多くの人々に愛され続けています。

本館の歴史と特徴

本館の建築と背景

本館は1884年(明治17年)9月に竣工しました。この建物は、当時の群馬県令であった楫取素彦(かとりもとひこ)の提言により、前橋市の企業や町民有志の募金によって建てられました。建築費は約5千円で、当初は市有財産ではなく、寄付を行った町民らの組織によって運営されていました。

建物は木造2階建て、入母屋造、桟瓦葺きで、桁行17.9メートル、梁間10.3メートルの規模を誇ります。1階には「一の間」「次の間」「三の間」「控えの間」などがあり、建物西側の突出部には「奥座敷」「次の間」が配置されています。一の間は畳を外すと能舞台として使用できる設えになっており、さまざまな用途に対応できるよう工夫されています。

また、2階には「一の間(御座所)」「次の間」「控えの間」があり、格式の高い迎賓館としての役割を果たしていました。1893年(明治26年)10月20日から21日にかけて、近衛師団小機動演習天覧のための行幸の行在所となり、明治天皇が宿泊した歴史もあります。

茶室の建築と意匠

京都の技術が生かされた茶室

茶室は本館の完成から2か月遅れて、1884年(明治17年)11月に完成しました。京都の宮大工である今井源兵衛が手掛けたこの茶室は、木造平屋建てで、桁行5.4メートル、梁間4.9メートルの小規模な建物です。東側に8畳の書院、西側に4畳半の茶室を設け、書院部分は寄棟造、茶室部分は入母屋造で、どちらも桟瓦葺きとなっています。

茶室は、楫取素彦県令や県庁職員の寄付によって建設され、本館とは異なる趣を持ちながらも、一体感のあるデザインが施されています。

別館の歴史と役割

貴賓館としての別館

別館は1910年(明治43年)8月に竣工し、群馬県が主催した一府十四県聯合共進会の貴賓館として建てられました。この建物は木造2階建て、入母屋造、桟瓦葺きで、1階には和室5室と60畳大の洋室があり、2階には180畳大の大広間が設けられています。延べ床面積は約1,001.02 m²で、建築にあたっては安中の中山道杉並木の老杉が使用されたと伝えられています。

第二次世界大戦後、1945年(昭和20年)から1954年(昭和29年)7月まで、前橋市役所庁舎として使用され、その後も中央公民館として1981年(昭和56年)まで利用されました。2階の大広間には、創建当時にはなかった舞台が設置されていましたが、「平成の大修理」で撤去され、創建当時の姿に戻されました。この大広間は、詩人の萩原朔太郎の結婚式でも使用されたことがあります。

文化財としての臨江閣

文化財指定と保存活動

臨江閣は、その歴史的価値から、「臨江閣本館茶室二棟付棟札」が昭和61年3月7日に群馬県指定重要文化財に、「臨江閣別館 付棟札及び渡廊下」が昭和61年6月6日に前橋市指定重要文化財に指定されました。しかし、棟札は1996年度に展示されたのを最後に所在不明となり、国の重要文化財に指定される際には棟札は指定範囲に含まれませんでした。

築100年を超えた臨江閣は、2016年(平成28年)3月より耐震補強工事を含めた大規模な改修工事が行われ、2017年(平成29年)9月より一般公開が再開されました。この改修は、当初2015年(平成27年)から実施予定でしたが、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放送に合わせて観光客を誘致するため、1年先送りされました。

まとめ

臨江閣は、群馬県前橋市の歴史と文化を象徴する迎賓施設であり、本館、別館、茶室はその優れた建築技術と美しい意匠で多くの人々に親しまれています。長い歴史を持ちながらも、適切な保存と修繕によって、その価値を次世代へと伝え続けています。訪れる際には、その歴史と文化を感じながら、静かな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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名称
臨江閣
(りんこうかく)

高崎・前橋

群馬県