飯玉神社は、群馬県伊勢崎市堀口町に鎮座する、きわめて由緒深い神社です。佐波・伊勢崎地域一帯に分布する約60社の飯玉神社の総鎮守として知られ、古来より地域の人々の信仰を集めてきました。主祭神には、食物と生命を司る神として崇敬される宇氣母智命(うけもちのみこと)と、大地と国土の守護神である大国魂命(おおくにたまのみこと)が祀られ、旧社格は村社に列しています。
飯玉神社の起源は非常に古く、伝承によれば安閑天皇元年(531年頃)、上野国主が丹波国笹山から保食神の神霊を迎え、この地に奉斎したことに始まるとされています。さらに孝徳天皇の時代には奉幣の儀式が行われ、寛平元年(889年)には宇多天皇より御霊神鏡を賜り、神霊代として祀られたと伝えられています。
長元4年(1031年)には郡司による神殿改築が行われ、康平5年(1062年)には源頼義が奥州平定の途上で神嘗祭を執り行い、凱旋の際に奉幣したという記録も残されています。こうした史実から、飯玉神社が古代・中世を通じて、政治と信仰の両面で重要な位置を占めていたことがうかがえます。
『上野国神名帳』に記される那波郡の「従三位 国玉明神」は、飯玉神社を指すものと考えられています。嘉応年間(12世紀後半)には、藤原秀郷の後裔である那波太郎広純が氏神として崇敬し、社殿の修理や神田の寄進を行いました。
その後も那波氏代々の武将たちにより篤く信仰され、戦勝祈願や社殿修理が繰り返し行われました。戦国時代を経て那波氏は滅亡しますが、江戸時代には前橋城主や伊勢崎藩主であった酒井氏の庇護を受け、社殿の修復や鳥居の奉納、神輿の寄進などが行われ、神社は再び隆盛を迎えます。
明治6年(1873年)には村社に列し、1909年(明治42年)には神饌幣帛料供進神社に指定されました。近代以降も地域の鎮守としての役割を保ち続け、現在に至るまで人々の信仰の中心となっています。
飯玉神社で特に知られる神事が、旧暦10月末から11月初午にかけて行われる「ムギマキゴシンジ(麦播き御神事)」です。この期間、神職が神殿や境内に注連縄を巡らし、人の立ち入りを禁じます。これは、出雲国へ赴いていた神々が上野国・武蔵国の神々とともに帰還し、当社で神々の寄合が開かれるという古い信仰に基づくものです。
また、毎年6月30日と12月31日には大祓式が行われ、6月には境内に茅の輪が設けられます。秋には10月17日に近い日曜日に秋季例大祭が斎行され、かつては花馬とともに神輿が巡行する勇壮な祭礼として知られていました。
境内には鳥居や参道、手水舎、本殿をはじめ、八坂大神、十寸穂国笹稲荷神社、聖徳皇太子碑など、多くの信仰遺産が点在しています。静かで落ち着いた雰囲気の中、長い歴史を刻んできた神社の風格を感じることができます。
飯玉神社は、東武鉄道「新伊勢崎駅」から車で約10分の場所に位置しています。周辺には那波城址や学校施設があり、地域の歴史を感じながら散策するのもおすすめです。伊勢崎市を訪れた際には、古代から続く信仰の息づく飯玉神社に足を運び、静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。