安中原市のスギ並木は、群馬県安中市原市に位置する中山道沿いの歴史的な並木道です。江戸時代に整備された街道の面影を今に伝える貴重な存在であり、昭和8年(1933年)4月13日に国の天然記念物に指定されました。現在は本数こそ少なくなりましたが、往時の旅人たちを見守ってきた杉の古木が、静かにその歴史を語り続けています。
中山道は、江戸時代初期に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ重要な幹線道路でした。新町宿から上州に入り、安中宿、松井田宿を経て碓氷峠を越え、信州へと続いていきます。東海道と並ぶ主要街道として、多くの大名行列や旅人、商人が往来しました。
安中原市のスギ並木は、中山道の安中宿と松井田宿の間、安中宿のすぐ西側、現在の群馬県道48号・125号の重複区間(旧国道18号)沿いに位置しています。かつては安中から原市にかけて約1キロメートルにわたり、700本以上の杉が植えられていたと伝えられています。
スギ並木がいつ植えられたのかについては、いくつかの説があります。
一里塚が整備された時期に合わせて植えられたとする説です。街道整備の一環として並木が設けられた可能性があります。
口碑によれば、高別当村の人が杉を植えている最中に、大坂落城の知らせを旅人から聞いたという逸話が伝えられています。
安中藩主・板倉重形が植えたとする説で、『西征紀行』には板倉家の祖先が植樹したことが記されています。
昭和45年(1970年)の年輪調査では、伐採木の多くが約280年、最大で320年を数えたことから、板倉重形以前から植えられていた杉も存在し、その後も伐採と補植が繰り返されてきたと考えられています。
天保15年(1844年)には、安中と原市を合わせて732本もの杉が並んでいました。しかし、時代の流れとともに本数は減少していきます。昭和7年(1932年)には321本、昭和52年(1977年)には57本となり、現在は13本のみが残されています。
減少の要因には、天明大噴火の際に軽石が根元に投棄されたことや、昭和30年代まで国道18号の幹線道路として交通量が非常に多かったことが挙げられます。自動車の排気ガスや振動など、生育環境の悪化も大きな影響を与えました。
かつては最大樹高41メートル、幹周り5.9メートルにも達する巨木も存在しましたが、枯死や伐採により失われました。それでもなお、樹齢300年から400年ともいわれる古木が、現在も力強く立ち続けています。
スギ並木は単なる景観資源にとどまらず、建築用材としても利用されました。
明治21年(1888年)― 安中小学校校舎
明治30年(1897年)― 群馬県中学校碓氷分校校舎
明治39年(1906年)― 前橋公園内武徳殿
明治42・43年(1908・1909年)― 前橋公園貴賓館(現・臨江閣別館)、碓氷郡役所
このように、地域の近代建築を支える重要な木材としても役割を果たしました。
群馬県の郷土かるた「上毛かるた」では、「な」の札に「中仙道しのぶ安中杉並木」と詠まれています。これは、杉並木が地域の誇りとして広く親しまれている証でもあります。
かつては日光杉並木にも劣らぬ名声を誇ったともいわれ、多くの旅人がその木陰に憩い、風雨や日差しから身を守りました。現在は本数が少なくなったとはいえ、残された杉の一本一本が中山道の歴史を静かに伝えています。
安中原市のスギ並木は、歴史散策を楽しむ方にとって見逃せない場所です。近隣には安中宿の史跡や碓氷峠関連の観光資源も点在しており、街道歩きとあわせて訪れることで、より深く中山道の歴史を感じることができます。
木々の間を歩くと、江戸時代の旅人の足音が聞こえてくるかのような趣があります。現代の喧騒の中にあっても、杉並木の周辺にはどこか静謐な空気が漂っています。
安中原市のスギ並木は、単なる並木道ではなく、時代を超えて受け継がれてきた歴史の証人です。安中市を訪れた際には、ぜひその古木を間近にご覧いただき、中山道の往時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。