妙義山は、群馬県甘楽郡下仁田町・富岡市・安中市の境界にまたがる山域の総称です。赤城山、榛名山とともに「上毛三山」の一つに数えられ、群馬県を代表する名峰として広く知られています。さらに、日本三大奇勝の一つにも数えられ、その荒々しく切り立った岩峰群が織りなす独特の景観は、多くの人々を魅了してやみません。
標高は白雲山相馬岳の1,104メートルが最高峰で、金洞山東岳が1,094メートルです。標高自体はそれほど高くありませんが、関東平野を一望できる開放的な眺望と、まるで彫刻のような岩山の姿が大きな魅力となっています。国の名勝に指定されています。
妙義山は、デイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で構成されており、約300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動の産物です。この溶岩体は、南西側にある荒船山と同時期に形成されました。
その後、周囲の柔らかい堆積層が浸食され、溶岩の岩体が露出したと考えられています。妙義山の険しい岩峰の荒々しい山容は、日本三大奇景の一つに数えられ、国の名勝に指定されると共に、日本百景にも選定されています。「上毛かるた」では、「紅葉に映える 妙義山」として「も」の札に採録されています。
妙義山は、南東側の表妙義と北西側の裏妙義に大きく分けられます。中木川を挟み、異なる表情を見せる岩峰列が南西から北東へと連なっています。
表妙義は、白雲山(1,104m)、金鶏山(856m)、金洞山(1,094m)の三山から構成され、特に白雲山に隣接する相馬岳が最高峰となっています。衝立のように切り立つ岩壁や、ろうそく状に突き出た岩峰群は「岩塔」とも呼ばれ、その迫力は他に類を見ません。
代表的な奇岩には大砲岩や筆頭岩があり、見る角度によってさまざまな形に見えることから、自然の造形美の奥深さを実感できます。
一方の裏妙義は、谷急山(1,162.1m)を主峰とし、丁須ノ頭や烏帽子岩などの鋭い岩峰が連なります。表妙義よりもさらに荒々しく、上級者向けの登山ルートが多いことで知られています。
妙義山観光の中でも特に人気が高いのが、表妙義にある石門めぐりコースです。第一石門から第四石門までを巡るルートで、比較的距離が短く、運動靴でも歩くことが可能です。
ただし、第二石門付近には鎖場が設けられており、慎重な行動が求められます。鎖場を避ける迂回路も整備されていますので、体力や経験に応じて安全に楽しむことができます。
特に第四石門脇から望む「日暮しの景」は、一日中眺めていても飽きないと称される絶景で、妙義山の雄大さと繊細さを同時に感じられる名所です。
妙義山の特徴的な景観の一つは、その多くの奇岩群です。中之嶽の景色は、中腹を巡る第1石門から第4石門をはじめ、ロウソク岩、大砲岩、筆頭岩、ユルギ岩、虚無僧岩などのユニークな名前がつけられた岩石群があり、日本屈指の山岳美として讃えられています。この石門巡りコースは、中之嶽神社が発着点となっており、多くの観光客が訪れます。
妙義山は古代より山岳信仰の対象とされてきました。妙義山の東面中腹には、白雲山を御神体とする荘厳な妙義神社が建立され、金洞山側には中之嶽神社が鎮座しています。妙義神社は宣化天皇2年(537年)創建と伝わり、江戸時代には火伏せや雷除けの霊験があると信じられ、多くの信仰を集めました。
明治45年、イギリス人登山家ウォルター・ウェストンが妙義山でロープ技術を日本人に伝えたことから、妙義山は近代登山発祥の地としても知られています。その険しい岩場は登山技術向上の場となり、日本の山岳文化の発展に寄与しました。
白雲山から金洞山へと続く山頂縦走コースは、約7時間20分を要する本格的なルートです。鎖場や岩稜帯が連続し、経験と装備が求められる上級者向けのコースとなっています。
途中には「大の字」「奥の院」「相馬岳」「鷹もどし」などの見どころが点在し、天候が良ければ浅間山や関東平野の大展望を楽しめます。ただし毎年滑落事故も発生しているため、入山カードの提出や綿密な計画が不可欠です。
一方で、妙義神社と中之嶽神社を結ぶ中間道は「関東ふれあいの道」に指定されており、比較的安全に山腹の自然を楽しむことができます。
山麓では道路整備が進み、通年で観光が可能です。県道196号は「妙義紅葉ライン」とも呼ばれ、秋には色鮮やかな紅葉ドライブが楽しめます。上信越自動車道松井田妙義インターチェンジからのアクセスも良好で、広域観光の拠点となっています。
一の鳥居近くには道の駅みょうぎがあり、観光案内所や物産センターが併設されています。地元の農産物や特産品を購入できるほか、妙義山観光の情報収集にも便利です。
妙義山は数多くの文学や芸術作品にも登場します。狩野芳崖は代表作《悲母観音》制作のため妙義山を写生し、堀辰雄は随筆『エトランジェ』でその姿を描写しました。また映画『男はつらいよ』や漫画『頭文字D』にも登場し、幅広い世代に知られています。
「鉄道唱歌」北陸篇では「鉾か剣か鋸か」と歌われ、その険しい岩峰の姿が表現されています。
妙義の名は、後醍醐天皇に仕えた長親卿が山の姿を「明々巍々(めいめいぎぎ)」と称したことに由来し、「明巍」が転じて「妙義」となったと伝えられています。その名の通り、光り輝くような威容を誇る山です。
春は山桜、新緑の初夏、燃えるような紅葉の秋、そして澄んだ空気に岩峰が際立つ冬。妙義山は一年を通じて異なる表情を見せてくれます。
険しさと美しさを併せ持つ妙義山は、登山愛好家だけでなく、ドライブや散策を楽しむ観光客にも広く親しまれています。群馬を代表する奇峰の世界を、ぜひ現地で体感してみてはいかがでしょうか。