妙義山は、群馬県甘楽郡下仁田町、富岡市、安中市の境界に位置し、日本三大奇景の一つとされる美しい山です。いくつものピークから成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳(1,103.8m)で、妙義山系全体の最高峰は裏妙義に聳える谷急山(1,162.1m)です。
妙義山は、赤城山、榛名山と共に上毛三山の一つに数えられています。白雲山、金洞山、金鶏山、相馬岳、御岳、丁須ノ頭、谷急山などの複数の山々を合わせた総称で、南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれています。特に下仁田側から眺望できる金洞山(1,094m)は別名「中之嶽」とも呼ばれ、親しまれてきました。
妙義山の特徴的な景観の一つは、その多くの奇岩群です。中之嶽の景色は、中腹を巡る第1石門から第4石門をはじめ、ロウソク岩、大砲岩、筆頭岩、ユルギ岩、虚無僧岩などのユニークな名前がつけられた岩石群があり、日本屈指の山岳美として讃えられています。この石門巡りコースは、中之嶽神社が発着点となっており、多くの観光客が訪れます。
妙義山の東面中腹には、白雲山を御神体とする荘厳な妙義神社があります。妙義神社は、江戸時代には火伏せや雷除けの霊験があると信じられ、多くの信仰を集めました。白雲山の北東には、妙義富士と呼ばれる山もあり、地域の信仰と結びついています。
妙義山は、デイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で構成されており、約300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動の産物です。この溶岩体は、南西側にある荒船山と同時期に形成されました。その後、周囲の柔らかい堆積層が浸食され、溶岩の岩体が露出したと考えられています。妙義山の険しい岩峰の荒々しい山容は、日本三大奇景の一つに数えられ、国の名勝に指定されると共に、日本百景にも選定されています。「上毛かるた」では、「紅葉に映える 妙義山」として「も」の札に採録されています。
1984年には、山岳関係の作品で有名な作家・深田久弥のファンクラブが制定した日本二百名山の中に妙義山が加えられました。この選定により、さらに多くの登山者が訪れるようになりました。
表妙義縦走路は、岩稜帯が連続しており、こぶ岩、鷹戻し、奥の院の鎖場などが存在し、これまでに多くの死亡や重傷などの遭難事故が繰り返されてきました。昭文社が発行する『山と高原地図』では、表妙義縦走路は最上級の難路に分類され、富岡市が作成する『妙義山登山まっぷ』でも上級登山道として紹介されています。
2010年1月、群馬県や地元自治体、警察、消防、山岳会が協力し、妙義山系山岳遭難防止対策会議が発足しました。この会議では、遭難を防ぐための対策が話し合われましたが、登山を禁止したい行政と、登山を続けたい地元山岳会との間で意見が対立し、結果的には鎖の増設と改良のみに留まりました。
2019年5月13日、プロアドヴェンチャーレーサーの田中陽希氏が「グレートトラバース3 日本三百名山 全山人力踏破」の158座目として、表妙義、白雲山(相馬岳)および金洞山(中之岳)に登頂しました。この挑戦は多くの登山者に影響を与えました。
妙義山の縦走路は危険個所が多いため、富岡市などから注意喚起がされていますが、その山麓では道路整備が行われ、通年での観光が一般客でも可能となっています。妙義山は古代から山岳信仰の対象となっており、宣化天皇2年(537年)に創建された妙義神社は、妙義山東側の白雲山を神体とし、その中腹に立地しています。また、妙義神社の一の鳥居の近くには、2000年に道の駅みょうぎが開業し、妙義山観光案内所やみょうぎ物産センターが併設されています。
妙義山の一の鳥居近くの三叉路は、群馬県道191号妙義山線、196号上小坂四ツ家妙義線、213号磯部停車場妙義山線の各終点となっており、近隣市町の中心市街地からアクセスが可能です。特に196号線は、下仁田から妙義山南西側の中之嶽神社を通り、妙義神社へ至る道で、富岡市では「妙義紅葉ライン」の愛称で紹介されています。また、51号線は、安中市内にある上信越自動車道の松井田妙義インターチェンジに接続しており、広域観光での妙義山への主要ルートとなっています。上信越自動車道も、表妙義の南東から裏妙義の西へと妙義山の北側を回り込むようなルートで1993年に開通しています。
群馬県内の小学校では、運動会の組分けに上毛三山の名前が使用されることが多く、「赤城団」「榛名団」「妙義団」の3組で対抗戦が行われる例が多数あります。また、妙義山北麓を流れる中木川に建設された中木ダムのダム湖は、妙義山にちなんで「妙義湖」と名付けられました。
妙義山は、多くの文化作品にも影響を与えています。狩野芳崖の作品『悲母観音』では、妙義山が「天空の雲上に立つ観音」の舞台として描かれています。また、1932年に堀辰雄が執筆した随筆『エトランジェ』では、妙義山がスイスのユングフラウによく似ていると記されています。
1974年の映画『男はつらいよ 寅次郎子守唄』では、オープニングのシーンで妙義山をバックに車寅次郎が旅をする様子が描かれています。また、瀧澤馬琴の『南総里見八犬伝』でも、妙義山の山容が紹介されています。さらに、妙義山を舞台にした文学作品も数多く存在し、その山容と歴史が多くの人々にインスピレーションを与え続けています。