群馬県東吾妻町の吾妻渓谷沿いに、かつて日本一短い鉄道トンネルとして知られた「樽沢トンネル」が存在していました。本トンネルは、東日本旅客鉄道(JR東日本)吾妻線の岩島駅―川原湯温泉駅間の旧線上に位置し、全長わずか約7.2メートルという極めて短い鉄道トンネルでした。
山の出っ張り部分をくり抜くように造られたこの小さなトンネルは、そのユニークさから鉄道ファンや観光客の間で広く知られ、東吾妻町を象徴する“ロックな遺産”として親しまれてきました。2014年の吾妻線付け替え工事に伴い営業路線としての役目を終えましたが、現在は新たな観光資源として再び注目を集めています。
樽沢トンネルが完成したのは、1946年(昭和21年)。当時の長野原線(現・吾妻線)の開通に合わせて建設されました。戦時中から戦後間もない時期にかけての突貫工事により整備されたといわれています。
通常であれば、全長7メートル程度の岩場であれば切り崩して「切り通し」とするのが一般的です。しかしこの場所では、あえてトンネルとして掘削されました。その理由については諸説あります。岩盤が非常に硬く、掘り抜く方が効率的だったという説や、トンネル上部に立つ一本松の景観を守るためだったという説などが伝えられていますが、明確な記録は残されていません。
いずれにしても、この短さゆえの特異性が話題を呼び、「日本一短い鉄道トンネル」として全国的に知られる存在となりました。
吾妻線は、八ッ場ダム建設に伴いルートの大規模な付け替えが行われました。岩島駅―長野原草津口駅間の約10.4キロメートルが新線へと切り替えられ、2014年9月24日をもって旧線での営業運転が終了しました。
樽沢トンネル自体はダムサイトより下流に位置していたため水没は免れましたが、路線付け替えにより用途廃止となりました。新ルートでは南側の山中を全長4,489メートルの八ッ場トンネルが貫いているため、現在の車窓から樽沢トンネルを見ることはできません。
本トンネルの廃止後、JRで最も短い鉄道トンネルはJR西日本・呉線の川尻トンネル(全長8.7メートル)となり、樽沢トンネルは「元日本一短いトンネル」としてその歴史を刻むこととなりました。
樽沢トンネルを含む旧線跡は、2020年7月より観光アトラクションとして生まれ変わりました。その名も吾妻峡レールバイク「アガッタン」です。
「アガッタン」という名称は、「あがつま」と列車の走行音「ガッタンゴットン」を掛け合わせた造語です。マウンテンバイクと鉄製台車を組み合わせた足漕ぎ式トロッコに乗り、実際の線路上を走行する体験型アトラクションとなっています。
2人または3人1組で協力してペダルを漕ぎながら進むため、家族連れや友人同士での体験に最適です。レールの継ぎ目から伝わる振動や、耳に心地よい走行音、そして渓谷を吹き抜ける爽やかな風は、まるで列車の運転士になったかのような爽快感を味わわせてくれます。
アガッタンの渓谷コースは、国指定名勝「吾妻峡」の壮大な自然を間近に感じられる約2.4キロメートルのルートです。一般道路よりも高所を走行するため、適度なスリルと開放感を楽しむことができます。
コース途中には、かつて日本一短いと称された樽沢トンネルを実際に通過する場面もあり、歴史的遺構を体感できる貴重な体験となっています。また、2020年に完成した八ッ場ダムの雄姿を望むこともでき、渓谷美と近代土木技術の融合を同時に楽しめるのも魅力です。
特におすすめの季節は、新緑が輝く春から初夏、そして紅葉が渓谷を染め上げる秋です。ミツバツツジが咲く時期や、赤や黄色に彩られた山々を眺めながらの走行は、忘れがたい思い出となるでしょう。
樽沢トンネル周辺へは、JR吾妻線岩島駅から国道145号旧道沿いに西へ約4キロメートル進んだ場所に位置しています。ただし現在は一部区間が車両通行止めとなっているため、徒歩でのアクセスが基本となります。
車で訪れる場合は、対岸の十二沢パーキングに駐車し、猿橋を渡って向かうルートが一般的です。徒歩での散策中には、吾妻峡の渓谷美や川のせせらぎをゆったりと楽しむことができます。
全長わずか7.2メートルという小さなトンネルは、単なる構造物以上の存在です。戦後復興期の鉄道整備、八ッ場ダム建設による地域の変化、そして廃線から観光資源への再生という、東吾妻町の歩みを象徴する歴史の証人でもあります。
現在は列車が通ることはありませんが、レールバイクという新しい形で人々を迎え入れています。かつての鉄路の鼓動を感じながら、自然と歴史を体感できるこの場所は、東吾妻町ならではの特別な観光スポットといえるでしょう。
吾妻峡を訪れた際には、ぜひ樽沢トンネルとアガッタンを体験し、小さなトンネルが紡いできた大きな物語に思いを馳せてみてください。