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原町の大ケヤキ

千年の時を刻む国指定天然記念物

三叉路に佇む巨樹の風景

群馬県吾妻郡東吾妻町原町にそびえる原町の大ケヤキは、推定樹齢約1000年を誇るケヤキの古木です。所在地は群馬県道35号と群馬県道58号が交わる「槻木(つきのき)」三叉路の中央部。交通の要所に堂々と根を張るその姿は、町の象徴的存在として広く知られています。

1933年(昭和8年)4月13日には国の天然記念物に指定され、その歴史的・学術的価値が高く評価されました。古くから地域の人々に守られ、語り継がれてきたこの巨樹は、単なる植物を超えた「生きる文化財」ともいえる存在です。

かつて「日本三大欅」と称された巨木

原町の大ケヤキは、かつて「槻木(つきのき)」と呼ばれ、地名の由来にもなりました。1932年(昭和7年)、植物学者・三好学の調査によってケヤキであることが確認され、その規模の大きさが記録されています。当時の計測では、根元の幹周は約16.89メートル、地上1.5メートル地点でも約10.97メートルという驚異的な太さを誇っていました。

枝張りも四方に大きく広がり、東北方向へは22メートルに及ぶなど、圧倒的な存在感を示していました。三好はこの木を、東根の大ケヤキや三恵の大ケヤキとともに「日本三大欅」の一つに数えています。

現在は長年の環境変化や老衰の影響により枝の多くを失い、幹の内部は空洞化しています。しかし、その空洞内に新たな根が生じることで、なおも生命をつないでいます。現在の樹高は約17メートル、幹周は約9.10メートル。千年の時を経てもなお立ち続ける姿には、自然の力強さと神秘を感じさせられます。

町割りの基準となった歴史の証人

この大ケヤキは、地域の歴史とも深く結びついています。1614年(慶長19年)、岩櫃城代・出浦盛清が真田信幸の命を受けて原町の町割りを行った際、岩櫃城背後の夫婦岩とこの大ケヤキを一直線に結び、その線を基準に街路を整備したと伝えられています。

つまり、この木は原町誕生の基準点ともいえる存在であり、町の発展を静かに見守り続けてきました。また、町の鬼門除けとしても信仰され、地域の守り神のような存在として畏敬の念を集めてきました。

語り継がれる不思議な伝承

1868年(明治元年)、県庁舎建設のために伐採されそうになったことがあります。しかし、鋸を入れた際に幹の内部が空洞であることが判明し、さらに切り口から血のような赤い液体が流れ出たため、人々は畏怖の念を抱き、伐採は中止されたと伝えられています。

また、昭和初期に枯れた大枝を伐採したところ、年輪は800年以上を数えたといわれています。これらの逸話は、大ケヤキが単なる植物ではなく、地域の精神文化の象徴であったことを物語っています。

現在の姿と未来への継承

三叉路の中央という厳しい環境に置かれているため、1965年頃から樹勢の衰えが目立つようになりました。周囲を道路に囲まれた生育条件は決して良好とはいえませんが、地域の人々の保護活動によって今日まで守られてきました。

さらに、クローン技術によって育てられた二代目の木が、東吾妻町スポーツ広場(吾妻町総合グラウンド)で成長しています。これは、千年の歴史を未来へとつなぐ象徴的な取り組みです。

観光スポットとしての魅力

原町の大ケヤキは、巨樹そのものの迫力はもちろん、周辺の町並みとあわせて楽しめる観光名所です。交通の要所に位置しているためアクセスもしやすく、東吾妻町を訪れた際にはぜひ立ち寄りたいスポットのひとつです。

歴史、伝承、そして自然の生命力が凝縮されたこの巨樹は、四季折々に異なる表情を見せてくれます。春の芽吹き、夏の濃緑、秋の黄葉、冬の静かな佇まい。それぞれの季節に訪れることで、千年の時の重みをより深く感じることができるでしょう。

原町の大ケヤキは、東吾妻町の誇りであり、日本の貴重な自然遺産です。悠久の歴史を刻み続けるこの巨木を前に、自然と人とのつながりの大切さを改めて感じてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
原町の大ケヤキ

渋川・伊香保

群馬県