歴史的にも有名な湯治場であり、多くの温泉客でにぎわっています。榛名山の東側に位置する温泉街は、標高650mから800mの地域に広がっています。山間の斜面に広がるため、上越国境の山々や赤城山などの美しい景色が楽しめます。
その象徴として知られているのが、天に向かってどこまでも伸びる石段です。温泉街の中心となるメインストリートは、400年の歴史を持つ石段で知られており、全長300mで365段の石段が連なっています。
この石段の両側には、みやげ物店や新旧の旅館、饅頭屋、遊戯場などがひな段式に配置されており、浴衣姿の人々が下駄の音を響かせながら散策する光景は、湯のまちの風情を感じさせます。
また、温泉街の奥には「子宝の湯」として知られる露天風呂もあります。
伊香保温泉の起源は400年以上前にさかのぼりますが、現在の石段は2010年に改修されて、365段の美しい御影石が使われています。
また、広場や「湯滝」と呼ばれる温泉水の流れる場所も設けられ、より親しみやすい名物となりました。
この石段には「温泉街が1年365日、にぎわうようになってほしい」という繁栄の願いが込められています。
石段街にはかつて12の温泉宿があり、それぞれの宿の位置に十二支の印が石段に刻まれています。のんびりと散策しながら、自分の干支を見つけるのも楽しいでしょう。
また、温泉饅頭は伊香保温泉の名物で、ここが発祥の地として知られています。茶色くつやつやとした見た目が美味しそうで、今では温泉地でほとんど必ず見かける存在です。
石段を登った後には、気軽に足湯を楽しむことができます。また、昔の石段を利用した「石段の湯」もあり、足湯だけでは満足できない人におすすめです。
石段街には四つの小満口があり、湯元から流れる温泉が分岐している様子を見ることができます。
さらに、石段街には射的などの遊戯場もあります。伊香保を訪れた際には、家族みんなで楽しむことができます。
石段には詩人与謝野晶子の詩が刻まれており、その詩を探すのも楽しいです。風情があり、旅情を盛り上げてくれます。
伊香保温泉の石段街は、歴史と風情が詰まった場所で、観光客にとって魅力的なスポットです。
400年前に始まったこの湯治場は、長い歴史の中で人々に愛されてきました。温泉街はお土産屋さんや浴衣を着た人々が散策する姿もよく似合う、まさに温泉地ならではの風景です。
伊香保温泉の源泉は、鉄分を含んだ茶褐色の「黄金の湯」と無色透明の「白銀の湯」という2つの種類があります。宿によってはどちらか一方の温泉を楽しむこともありますし、両方を楽しむこともできます。歴史ある名湯につかりながら、石段を登る挑戦もしてみてはいかがでしょうか。
歴史
戦国時代には石段街が形成され、負傷兵士の保養地となりました。一説には武田勝頼が真田昌幸に命じて石段街を整備させたとも言われています。明治時代以降は多くの文人が訪れ、竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情などがその中に含まれます。また、伊香保温泉には千明仁泉亭という老舗旅館もあり、徳富蘆花が愛した宿として知られています。
1910年には渋川から路面電車が開通し、後に東武伊香保軌道線となりましたが、1956年に廃止されました。1920年には火災が発生し、温泉街が焼失するという大事件も起きました。戦後は歓楽街温泉として栄え、芸妓組合も現在も存在しています。
1955年には、日本最初のケーブルテレビが設置されたことでも知られており、その記念碑が「文学の小径公園」に残されています。
温泉饅頭
今では全国の温泉地でよく見かける茶色の温泉まんじゅうは、伊香保温泉が発祥地とされています。1910年に勝月堂の初代店主が「湯の花まんじゅう」として販売したことが始まりで、現在でも販売されています。
「伊香保の湯の花まんじゅう」として天皇家に献上されたことで広まったと言われています。伊香保温泉周辺には他にもいくつかのお店が湯の花まんじゅうを製造・販売しています。
上越線 渋川駅下車から関越交通バスで約30分
高崎駅から群馬バスで1時間30分
関越自動車道 渋川伊香保ICより約9km