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反町薬師(反町館跡)

(そりまち やくし)

新田義貞ゆかりの歴史と花の名所

反町薬師は、群馬県太田市新田反町町にある真言宗の寺院で、正式名称を瑠璃山妙光院照明寺といいます。古くから「薬師様」として地域の人々に親しまれてきた歴史ある寺院であり、厄除け祈願の寺として多くの参拝者が訪れています。

この寺院の境内は、かつて新田義貞の居館があったと伝えられる場所であり、「反町館跡」とも呼ばれています。周囲には現在でも堀や土塁が残り、往時の城館の姿を感じることができます。また、この場所は中世の荘園遺跡群である新田荘遺跡の一部として、国の史跡にも指定されている貴重な歴史遺産です。

春には桜、初夏には藤の花が咲き誇る美しい寺院としても知られ、歴史と自然の両方を楽しめる観光スポットとなっています。

新田義貞の館跡として知られる歴史的な場所

反町薬師が建つ場所は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将新田義貞の居館跡であると伝えられています。義貞は鎌倉幕府を倒した名将として知られ、上野国新田郡を拠点とする新田氏の棟梁でした。

伝承によると、義貞は成人後、現在の太田市別所付近にあった館が手狭になったため、地下水が豊富で防御にも適したこの地に新たな館を築いたとされています。また、鎌倉幕府打倒の決意を固めたのも、この館の近くであったといわれています。

当時の反町館は三重の堀に囲まれた堅固な平城であり、新田氏の拠点として重要な役割を担っていました。現在でも境内の周囲には幅10〜20メートルの堀が残り、水をたたえた姿は中世の城館の雰囲気を今に伝えています。

戦国時代には城郭として発展

反町館は、鎌倉・南北朝時代に築かれた後、室町時代には金山城の支城として利用されるようになりました。そして戦国時代には大きく拡張され、三重の堀を巡らせた本格的な城郭へと発展したと考えられています。

特に天正12年(1584年)、後北条氏が金山城を攻撃した際には、北条氏邦の本陣として利用されたという記録が残されています。このように、反町館は軍事的にも重要な拠点として活躍した歴史を持っています。

その後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡すると、館もその役割を終えて廃城となりました。

館跡に建立された照明寺

城館としての役割を終えた後、この場所には寺院が建立されました。由良氏によって館跡に照明寺が建てられ、現在の寺院の歴史が始まったとされています。

さらに正徳4年(1714年)には、もともと北側約500メートルの場所にあった照明寺が火災に遭ったため、この反町館跡へ移転しました。それ以来、寺院として現在まで大切に守られてきました。

境内には本堂、大師堂、参籠堂、鐘楼堂、水屋などがあり、歴史ある寺院らしい落ち着いた雰囲気が広がっています。

不鳴の池に残る伝説

照明寺の本堂裏には「不鳴の池(なかずのいけ)」と呼ばれる池があります。この池には、新田義貞にまつわる興味深い伝説が残されています。

義貞がこの館で軍議を開いた際、池のカエルの鳴き声があまりにも大きく、話し合いの妨げになったといわれています。そこで義貞が静まるよう命じると、不思議なことにカエルの声が止み、それ以来この池ではカエルが鳴かなくなったと伝えられています。

この伝説から池は「不鳴の池」と呼ばれるようになり、現在も日本庭園のような静かな景観を見せています。

春の桜と初夏の藤が美しい花の名所

反町薬師は歴史だけでなく、四季折々の自然を楽しめる場所としても知られています。特に春には境内の桜が満開となり、古寺の落ち着いた雰囲気と見事に調和した美しい景色を楽しむことができます。

さらに5月上旬には、見事な藤棚が紫色の花房で埋め尽くされ、多くの見物客が訪れます。藤の花が風に揺れる光景は非常に美しく、太田市内でも有数の藤の名所として知られています。

樹齢約500年のクスノキ

境内には、推定樹齢約500年といわれる大きなクスノキがあり、訪れる人々の目を引きます。高さ約18メートル、幹周り約9.9メートルにもなる巨木で、長い年月をかけて成長した堂々たる姿が印象的です。

伝承によれば、このクスノキは楠木正成の名前にちなんで複数の木を寄せ植えしたものが成長したともいわれ、根元は一つですが上部で六本に分かれる特徴的な形をしています。

また近くには樹齢約150年とされる藤の木もあり、これらが立派な藤棚を形成しています。

厄除けの縁日と地域の信仰

反町薬師は古くから厄除け薬師として信仰を集めており、毎年1月4日には厄除けの縁日が開かれます。この日には多くの参拝者が訪れ、境内は賑わいを見せます。

地域の人々にとっては、単なる歴史遺跡ではなく、今も生活の中で大切にされている信仰の場でもあります。

新田荘遺跡の一部としての価値

反町館跡は、中世の荘園である新田荘に関係する遺跡群の一つであり、2000年(平成12年)には新田荘遺跡として国の史跡に指定されました。

新田荘は平安時代末期に成立した荘園で、新田氏一族の本拠地として発展しました。現在では館跡や寺院、湧水地など11の遺跡がまとめて史跡として保存されており、東日本の中世荘園を知るうえで非常に貴重な文化財とされています。

交通アクセス

自動車
・東北自動車道 館林ICより約50分
・北関東自動車道 伊勢崎ICより約20分

鉄道
・東武伊勢崎線 太田駅よりタクシーで約30分
・東武伊勢崎線 木崎駅よりタクシーで約10分

歴史と自然が調和する観光スポット

反町薬師は、新田義貞ゆかりの城館跡という歴史的価値を持つだけでなく、桜や藤の花、巨木など自然の魅力にも恵まれた場所です。境内を歩くと、堀や土塁など中世の城館の面影を感じることができ、まるで歴史の中に入り込んだかのような雰囲気を味わえます。

群馬県太田市の歴史を深く知ることができる観光スポットとして、多くの歴史愛好家や観光客が訪れています。新田氏ゆかりの史跡巡りと合わせて訪れることで、より一層この地域の歴史の魅力を感じることができるでしょう。

Information

名称
反町薬師(反町館跡)
(そりまち やくし)

館林・太田

群馬県