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大光院(子育て呑龍)

(だいこういん こそだて どんりゅう)

子育て呑龍さまの名で親しまれる太田の名刹

大光院は、群馬県太田市金山町にある浄土宗の寺院で、正式名称を義重山 新田寺 大光院といいます。太田市を代表する歴史的寺院として知られ、地元では「子育て呑龍」または「呑龍さま」の名で広く親しまれています。

寺院は太田市の象徴ともいえる金山の南麓に位置しており、豊かな自然に囲まれた静かな環境の中に広大な境内が広がっています。1613年(慶長18年)に徳川家康によって創建された由緒ある寺院で、江戸時代には幕府の保護を受けながら発展しました。

東上州三十三観音特別札所、群馬七福神(弁財天)にも数えられ、現在でも安産祈願や子育て祈願で多くの参拝者が訪れる、太田市屈指の観光・信仰スポットとなっています。

徳川家康が建立した歴史ある寺院

大光院は、江戸幕府を開いた徳川家康が、自らの祖先とされる新田義重の菩提を弔うために建立した寺院です。家康は1611年、徳川一族の繁栄と天下泰平を祈願し、菩提寺を建立する計画を立てました。場所の選定は芝の増上寺の高僧である観智国師に相談され、その結果、歴史ある太田金山の南麓が選ばれました。

そして1613年(慶長18年)、浄土宗の高僧である呑龍上人が招かれ、大光院の開山となりました。創建当初から江戸幕府の厚い保護を受け、寺領として300石の朱印地が与えられるなど、格式の高い寺院として発展していきました。江戸時代には関東の僧侶教育機関である関東十八檀林の一つにも数えられ、多くの僧侶がここで学びました。

「子育て呑龍」と呼ばれる理由

大光院が特に有名になった理由は、開山である呑龍上人の慈悲深い行いにあります。江戸時代初期、農村では貧困などの理由から赤ん坊を育てられず命を絶つ「間引き」という悲しい習慣が存在していました。

呑龍上人はこの状況を深く悲しみ、貧しい家庭の子どもたちを寺に引き取り、弟子として育てる活動を始めました。多くの子どもたちを保護し、教育と生活の場を与えたことから、人々は感謝と敬意を込めて「子育て呑龍」と呼ぶようになりました。

この信仰は現在まで続いており、大光院は安産祈願、子育て祈願、お宮参り、七五三などの参拝で非常に人気のある寺院となっています。群馬県内だけでなく、関東各地から多くの家族連れが訪れています。

広大な境内と歴史的建造物

大光院の境内は非常に広く、創建当時の面影を残す多くの建物が立ち並んでいます。歴史的価値の高い建築物が数多く残されており、寺院建築を見学するだけでも大きな見どころとなっています。

本堂

大光院の中心となる建物が本堂です。本堂は京間造の壮大な建築で、東西13間、南北11間半という大きさを誇ります。屋根は入母屋造で、重厚で荘厳な姿が印象的です。

本堂の中央には、本尊である阿弥陀三尊像(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が安置されています。阿弥陀如来像は仏師安阿弥の作、観音菩薩像と勢至菩薩像は運慶作と伝えられており、貴重な仏像として知られています。

また堂内には、徳川家康や新田義重の位牌、徳川歴代将軍の位牌なども安置されており、歴史的にも重要な意味を持つ場所となっています。

開山堂

境内には、開山である呑龍上人を祀る開山堂があります。現在の建物は昭和9年(1934年)に建てられたもので、桃山風の意匠を取り入れた壮麗な建築です。

鉄筋コンクリートによって建てられた大型の仏教建築としては、日本でも初期の例とされており、建築史的にも価値の高い建物です。堂内には呑龍上人自身が制作したと伝えられる尊像が安置されています。

大方丈・小方丈

本堂の近くには、住職の居所である大方丈小方丈もあります。大方丈は本堂より一段低い場所に建てられており、これは徳川家の祖先を祀る本堂と同じ高さに建物を置くのは恐れ多いという理由からだと伝えられています。

このような配置からも、徳川家と大光院の深い関係をうかがうことができます。

文化財「吉祥門」

大光院の入口には、太田市指定有形文化財となっている吉祥門があります。木造の切妻造りで、三間一戸八脚門という伝統的な形式の門です。

この門は1615年(元和元年)に仮の門として建てられたと伝えられています。伝説によると、大坂城が落城した日に上棟されたことから、縁起の良い意味を込めて「吉祥門」と名付けられました。

屋根には徳川家の家紋である三葉葵の瓦が使われており、江戸幕府と大光院の関係の深さを今に伝えています。平成12年には屋根の修復が行われ、創建当時の瓦が復元されました。

境内の見どころ

臥龍松(がりゅうまつ)

本堂前には、樹齢350年以上ともいわれる黒松があります。この松は枝ぶりが龍が横たわっているように見えることから臥龍松と呼ばれています。

呑龍上人が植えたと伝えられるこの松は、大光院の象徴的な存在であり、多くの参拝者が足を止めて写真を撮る人気のスポットとなっています。

新田義重と呑龍上人の墓

本堂の裏には、寺院創建のきっかけとなった新田義重と、開山である呑龍上人の墓があります。歴史的に重要な人物が眠る場所として、多くの歴史ファンが訪れています。

弁財天信仰

群馬七福神の一つである弁財天を祀っていることから、商売繁盛や芸能上達を願う参拝者も多く訪れます。正月や七福神巡りの時期には特に賑わいを見せます。

季節の行事とイベント

大光院では一年を通してさまざまな行事が行われています。特に有名なのが、9月7日から9日まで開催される開山忌大祈願会です。この期間は子育て祈願や安産祈願を行う参拝者で境内が大変賑わいます。

また、毎年10月25日から11月25日には「関東大菊花大会」が開催されます。境内には色鮮やかな菊の花が展示され、秋の風物詩として多くの観光客が訪れます。

上毛かるたにも登場する太田の名所

大光院は、群馬県の郷土かるたとして有名な上毛かるたにも登場します。「お」の札には「太田金山 子育て呑龍」と詠まれており、太田市を代表する名所として広く知られています。

金山城跡と並んで太田の象徴的な観光地とされており、歴史・文化・自然を感じられる場所として多くの人々に親しまれています。

呑龍上人の生涯と人物像

開山である呑龍上人(源蓮社然誉・字は故信)は、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した浄土宗の高僧です。武蔵国埼玉郡の出身で、若くして出家し、芝増上寺で修学しました。その後、関東十八檀林の一つである八王子大善寺の住持となり、浄土宗僧侶養成の基礎を築いた名僧として知られています。

慶長18年(1613年)、徳川家康の命を受けて大光院の開山となり、太田の地に浄土宗の教えを広めました。質実で慈悲深い人柄は広く慕われ、特に子どもたちを守り育てた逸話は、今日に至るまで語り継がれています。

交通アクセス

電車をご利用の場合

東武鉄道太田駅より徒歩約20分。

お車をご利用の場合

北関東自動車道・太田桐生ICより約10分。東北自動車道・館林ICより約40分。

太田観光でぜひ訪れたい名所

大光院は、徳川家康ゆかりの歴史、呑龍上人の慈悲の物語、そして美しい寺院建築を同時に楽しむことができる魅力的な観光地です。広い境内をゆっくり散策しながら、歴史の息吹や静かな雰囲気を感じることができます。

太田市を訪れた際には、ぜひ「子育て呑龍さま」として親しまれる大光院に立ち寄り、歴史と文化が息づくこの寺院の魅力を体験してみてください。

Information

名称
大光院(子育て呑龍)
(だいこういん こそだて どんりゅう)

館林・太田

群馬県