世良田東照宮は、群馬県太田市世良田町に位置する神社で、「東照大権現」として祀られている徳川家康を祭神とする東照宮の一つです。この神社は、1617年(元和3年)に駿河国久能山(現在の久能山東照宮)から下野国日光(現在の日光東照宮)へ徳川家康の遺骸が改葬された際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建されたものです。太田市内の他の社寺や館跡とともに、「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されています。
世良田東照宮が位置するこの地は、新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺には義重の供養塔があります。この地域は、歴代の新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、繁栄していました。徳川氏は関東に入る際、新田氏から分立した世良田氏の末裔を自称していたため、この地は徳川氏にとってもゆかりの深い場所とされていました。
1644年(寛永21年)、3代将軍・徳川家光の命により、徳川氏の遠祖である世良田義季の墓があり、天海僧正が住職を務めていた長楽寺の境内に、世良田東照宮が創建されました。歴代徳川将軍からも厚い信仰を受け、江戸時代には大いに栄えました。明治時代に入ると、1875年(明治8年)の神仏分離により長楽寺から分離し、1879年(明治12年)には郷社に列格されました。
世良田東照宮の社殿は、創建時に日光東照宮の古社殿を移築したもので、一間社流造の本殿、入母屋造の拝殿、そして唐門が特徴です。これらの建造物は国の重要文化財に指定されています。また、元和4年に作られた大鉄燈籠なども重要文化財の附(つけたり)として指定されています。
世良田東照宮には、以下の重要文化財が存在します。
本殿は、1644年(寛永21年)に建立されたもので、一間社流造、銅瓦葺です。附(つけたり)として、厨子及び須弥壇、大鉄燈籠、棟札7枚が指定されています。これらは1956年(昭和31年)6月28日に国の重要文化財に指定されました。
唐門も1644年(寛永21年)に建立されたもので、四脚平唐門、銅瓦葺です。同じく1956年(昭和31年)6月28日に重要文化財に指定されています。
拝殿は1615年から1624年にかけて建立されたもので、桁行五間、梁間三間の一重、入母屋造、前後軒唐破風付き、銅瓦葺です。こちらも1956年(昭和31年)6月28日に国の重要文化財に指定されています。
世良田東照宮には、貴重な工芸品も所蔵されています。
この太刀は、後水尾天皇より日光東照宮に寄進されたものであると伝えられています。徳川氏の先祖ゆかりの地とされた世良田に、日光東照宮の旧奥社拝殿を移築する際に移されたものです。刀身は、作刀者「了戒」の銘があり、長さ72.7cm、反り2.5cm、目釘穴一個、刃文は直刃、地鉄は柾目がかかった小杢目で小沸が特徴です。了戒は13世紀末期に活躍した山城(現在の京都)の刀工で、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけての刀工諸派来派の来国俊の子または弟子とされています。拵は全長1m弱で、金具は銀磨地、鞘は革下地で金の沃懸地、菊御紋散しの蒔絵が施されています。この太刀は1921年(大正10年)4月30日に国の重要文化財に指定されました。
世良田東照宮は、倉賀野宿で中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点に位置しています。アクセス方法は以下の通りです。
東北自動車道: 館林ICより約50分
関越自動車道: 花園ICより約30分
北関東自動車道: 伊勢崎インターチェンジより約20分
JR東日本高崎線: 深谷駅よりタクシーで20分
東武伊勢崎線: 世良田駅より徒歩15分、太田駅よりタクシーで35分
世良田東照宮は、徳川家康を祭神とする歴史的に重要な神社であり、江戸時代の文化や歴史を今に伝える貴重な遺産です。国の重要文化財に指定された社殿や工芸品を通じて、徳川家康やその時代の歴史に触れることができます。群馬県太田市を訪れる際には、ぜひ世良田東照宮にも足を運んでみてください。