水上温泉郷は、日本の北関東に位置し、群馬県利根郡みなかみ町水上地区(旧・水上町)にある温泉地の総称です。奥利根温泉郷(おくとね おんせんきょう)とも呼ばれ、利根川の源流部に近い最上流部に点在する温泉地が集まっています。谷川連峰北東麓と武尊山北西麓の間に形成された河岸段丘地域を核として、周辺の温泉地からは渓谷や山々を見渡すことができます。
水上温泉(みなかみ おんせん)は、水上温泉郷の中心を成す一大温泉地であり、JR東日本水上駅周辺に位置しています。利根川を見下ろし、谷川岳を見上げる景観が特徴です。所在地は群馬県利根郡みなかみ町水上地区で、かつては「奥利根八湯」や「水上八湯」として知られていました。
水上温泉の泉質は単純温泉と硫酸塩泉です。古くは湯原湯(ゆばらのゆ)と呼ばれ、1918年(大正7年)秋には若山牧水が訪れ、『みなかみ紀行』でその魅力を紹介しています。第二次世界大戦後の高度経済成長期には歓楽温泉街としても栄えましたが、2004年には温泉偽装問題が発覚し、一部の旅館で温泉水を使用せず、水道水を利用していたことが問題となりました。
谷川温泉(たにがわ おんせん)は、水上駅から谷川岳寄りに位置し、山懐に抱かれた温泉地です。所在地は群馬県利根郡みなかみ町谷川で、かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つです。
谷川温泉の泉質はアルカリ性単純温泉で、江戸時代に自噴した源泉を利用しています。太宰治が1936年(昭和11年)に療養のために訪れたことで有名であり、滞在中に『創世記』を執筆しました。また、太宰の作品『姥捨(うばすて)』には、谷川温泉の老夫婦と水上温泉郷が登場し、文学碑が建てられています。
うの瀬温泉(うのせ おんせん)は、利根川本流と湯檜曽川の合流点近くに位置する温泉地です。所在地はみなかみ町大穴で、かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つです。
うの瀬温泉の泉質は単純温泉です。静かな温泉街が広がっており、谷川岳ロープウェイの玄関口にあたるため、多くの観光客が訪れます。
湯檜曽温泉(ゆびそ おんせん)は、谷川岳の真下に位置し、湯檜曽駅近くにある温泉地です。みなかみ町湯檜曽に所在し、かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つです。
湯檜曽温泉の泉質はアルカリ性単純温泉で、陸奥国の安倍氏に連なる安倍貞任の子孫が発見したと伝えられています。湯檜曽川に沿って温泉街が広がり、旅館や保養所が立ち並んでいます。
向山温泉(むこうやま おんせん)は、湯檜曽温泉と同じく、谷川岳の真下に位置する温泉地で、みなかみ町向山に所在します。かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つです。
向山温泉の泉質はアルカリ性単純温泉です。谷川岳ロープウェイの玄関口に位置し、多くの観光客が訪れる温泉地です。
藤原湖温泉(ふじわらこ おんせん)は、藤原ダム湖の北畔に位置していた温泉地です。しかし、2004年に発覚した温泉偽装問題により、実際には温泉水を使用していなかったことが明らかになり、現在は温泉地としての存在意義を失い、ホテル藤原郷も廃業に追い込まれました。
1959年に藤原ダムの竣工に合わせて開業した「ホテル藤原郷」は、ダム観光が下火になっても賑わいを見せましたが、温泉偽装問題により信頼を失い、2007年に廃業しました。その後、施設は廃墟となり、社会問題化しました。
宝川温泉(たからがわ おんせん)は、水上からさらに利根川を遡った地点にある温泉で、群馬県利根郡みなかみ町藤原に位置します。かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つで、現在は「みなかみ十八湯」の一つとして知られています。
宝川温泉の泉質は単純温泉で、4つの源泉があり、湧出量は毎分1,800リットルと豊富です。一軒宿「宝川温泉 汪泉閣」は、渓流沿いに広がる4つの露天風呂が有名で、混浴露天風呂も衛生的に管理された湯浴み着を用いることで実現しています。外国人観光客にも人気があり、映画『テルマエ・ロマエII』のロケ地としても使用されました。
湯の小屋温泉(ゆのこや おんせん)は、利根川上流域に位置する温泉で、みなかみ町藤原にあります。かつての「奥利根八湯」や「水上八湯」の一つです。
湯の小屋温泉の泉質はアルカリ性単純温泉です。周囲は豊かな自然に囲まれており、昔は尾瀬の入口として知られていました。静かな環境で自然を満喫できる温泉地です。
水上高原上の原温泉(みなかみこうげん うえのはら おんせん)は、湯の小屋温泉と同様に、宝川よりさらに山奥にある温泉です。水上高原スキーリゾート内ホテルの大浴場で使用されており、アルカリ性単純温泉です。
谷川岳温泉(たにがわだけおんせん)は、上越線土合駅の前にある温泉で、2021年に開湯しました。谷川岳登山の拠点として利用され、宿「土合山の家」に引かれています。泉質はアルカリ性単純温泉で、歴史は浅いものの、登山者にとって重要な拠点となっています。
1966年3月11日未明、水上温泉の温泉宿「菊富士ホテル」で火災が発生し、宿泊客219名のうち30名が死亡、12名が重軽傷を負う大惨事となりました。この事件は「菊富士ホテル火災」として知られています。
2004年8月11日、水上町観光協会および水上温泉旅館協同組合は、温泉の不正表示を公表し、謝罪しました。温泉水を使用していなかった施設には、水上観光ホテルやホテル藤原郷などが含まれ、これにより多くの施設が営業を停止しました。
みなかみ町は2015年に公表した『まち・ひと・しごと創生総合戦略』で、温泉街のリノベーションを進める考えを示しました。廃墟となった宿泊施設が温泉街全体のイメージ悪化を招いており、町は新たな資本の誘致に向けて、廃墟の撤去も辞さない姿勢を示しています。
新生代新第三紀から第四紀にかけて、谷川岳や武尊山が形成され、神代にはヤマトタケルが白鷹湯(現・宝川温泉)を発見したという伝説が残っています。江戸時代には、谷川村で自噴した源泉から谷川温泉が生まれました。
1918年には若山牧水が水上温泉郷を訪れ、『みなかみ紀行』を執筆しました。1928年には国鉄上越線が開通し、温泉地へのアクセスが飛躍的に改善されました。その後、温泉地としての発展が続き、1966年の菊富士ホテル火災や2004年の温泉偽装問題を経て、現在に至ります。
2016年には「みなかみ十八湯」が温泉総選挙で第1位を獲得し、2017年には「みなかみユネスコエコパーク」が登録されるなど、水上温泉郷は新たな取り組みを進めています。