浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町および御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村にまたがる標高2,568メートルの安山岩質の成層火山です。その円錐形の山体とカルデラを持ち、活発な活火山として広く知られています。
浅間山の周辺では数十万年前から火山活動が活発であり、浅間山は烏帽子岳などの3つの火山体とともに浅間連峰、もしくは浅間烏帽子火山群として総称されます。これまでに多くの噴火と山体崩壊を繰り返し、現在の姿を形成しました。山体崩壊の痕跡は、遠く群馬県前橋市の台地上などにも厚い堆積物として残されています。現在も活動中の火山は前掛火山であり、その山頂火口からは噴煙が上がり、複合のカルデラが存在します。
気象庁は浅間山を「100年活動度または1万年活動度が特に高い活火山」として、ランクAの活火山に指定しています。
浅間山の火山活動は、噴火口の位置や溶岩の性質から3つに分類されます。まず、黒斑期は約13万年前から約2.6万年前までの期間で、玄武岩質安山岩および安山岩質の溶岩が主な噴出物でした。現在の黒斑山は東に開いた馬蹄形カルデラで、このカルデラは約2.4-約2.3万年前に発生した山体崩壊によって形成されました。
黒斑山の山体崩壊後に始まった仏岩期には、浅間山を南から見ると確認できる山体右側の膨らみ、仏岩火山が形成されました。この時期には、粘性に富む紫蘇輝石・角閃石デイサイト質および流紋岩質の溶岩流が繰り返し噴出し、緩傾斜の火山体を形成しました。また、この時期には大規模な噴火が発生し、カルデラが形成されたと考えられています。
仏岩火山の活動終了後、浅間前掛火山(狭義の浅間火山)で噴火が始まりました。現在の活動もこの前掛火山で行われており、現在も比較的平穏な活動を続けていますが、活動が衰えた兆候は見られません。
1783年8月5日(天明3年7月8日)、浅間山は天明大噴火を引き起こしました。この噴火は多くの噴出物を伴い、山麓の村々を壊滅させ、大規模な土石流が発生して吾妻川、利根川を経て広範囲に被害をもたらしました。最終的に、この噴火は1624人の犠牲者を出し、多くの家屋が流失しました。
この噴火は天明の大飢饉の原因の一つともされており、北半球における気候不順や冷害を引き起こし、多くの人々に影響を与えました。
浅間山はその活発な火山活動により、1911年に日本最初の火山観測所が設置されました。現在では、火山噴火予知連絡会や東京大学地震研究所などによって、365日24時間の観測が行われています。また、過去の噴火事例を基にしたハザードマップも作成されており、火山活動に対する防災体制が整えられています。
浅間山の火口付近は火山活動に伴い、長年にわたって立ち入りが禁止されていますが、近年では前掛山までの登山が許可されています。群馬県と長野県の関係自治体は登山道の整備を進めており、2025年度には新たな登山道が開通する予定です。
浅間山はその美しい景観と歴史的背景から、多くの人々に愛されており、登山や観光の名所としても人気があります。
浅間山は古くから山岳信仰の対象となっており、「あさま」という名称は火山を示す古語とされています。また、多くの文人や芸術家にインスピレーションを与え、詩や絵画、映画などの作品にも登場しています。
例えば、松尾芭蕉や在原業平の和歌には浅間山が詠まれ、小山敬三の絵画連作「浅間」などでも描かれています。浅間山は日本文化において重要な役割を果たしてきた山です。